「駅乃みちか」と「萌え絵」問題はどういう議論だったのか
最近バズった「駅乃みちか」の「萌え絵」問題。どうやらこの「駅乃みちか」というキャラクターが「エロい」のではないかという指摘というか批判というかがあったようで、Twitterを少し賑わせていた。
参考1:こんなに美人だったの!?東京メトロのサーマネ「駅乃みちか」のビフォーアフターが凄いと話題に - BIGLOBEニュース
この問題について個人的に整理したかったのでこのエントリーを書いた。
「駅乃みちか」ってなに
「駅乃みちか」は2013年から東京メトロの駅ポスターなど使用されているキャラクター(東京メトロサービスマネージャーという設定)で、もともとはいわゆる「萌え絵」とは一線を画した(微妙に地味な)キャラクターだったのだが、今回『つなげて!全国"鉄道むすめ"巡り』というイベントに向けて、いわゆる「萌え絵」化された。
「鉄道むすめ」の企画自体は2005年から始まっており、これまでに全国各地でマスコットキャラクターが誕生してきた。
“「鉄道むすめ」は、実在する全国各地の鉄道会社の制服を着た美少女キャラクター。鉄道会社のオリジナルキャラクターを改変したものや鉄道会社の特徴を踏まえて同社が創作したものなどさまざまだ”(参考3より)
ことの発端
こうしたイベント向けにリニューアルされた「駅乃みちか」の絵を受けてTwitter上で特に指摘されたのが、キャラクターの表情やスカートの描写などが「性的」なのではないかということであった。そして東京メトロ側は「お客様」の声を受け、制作サイドにデザインの修正を求めたそうだ。
参考3:「駅乃みちか」スケスケスカートが大物議 東京メトロ、批判受け微妙に「修正」 - BIGLOBEニュース
この問題について意見がある人は多いだろう。実際Twitterではそれなりの反応があった。しかし論点が人により異なり、議論が拗れている印象があった。結局のところ何が問題で、こうした問題にはどうやって議論していくべきなのか。
問題の整理
「駅乃みちか」についての論点
まずは大きな論点を整理したい。ひとまず、ことの発端から考えた場合の根本的な議題は次のようになるであろう。
ただし、この定式化はやや微妙な点がある。これは、次のような事実から明らかになる。
(参考2などを参照)
この事実から分かるように、東京メトロは「萌え絵」版「駅乃みちか」をどこかに使用しているわけではない。その一方で、「鉄道むすめ」の「萌え絵」キャラと鉄道事業とのタイアップがこれまでに多くなされてきたという事実もあり、今回の「駅乃みちか」もそうした企画に使用される可能性はある(ただし現状は4.の予定しかない)。
そうすると、先の根本議題の定式化が微妙であったことが分かる。つまり、「駅乃みちか」はまだ使用されていない。したがって先の根本議題(仮)は次のように修正されるべきである。
つまりまだ(駅などでは)使用されていないイラストについて、使用の是非を問うべきではないということだ。
また、イラスト修正の是非という点は、どちらかといえば表現規制に関わる話なので、むしろ次の派生議題=中心議題における論点とみなした方が議論は整理されるであろう。
これは根本議題よりもややズレた議題である。しかし実際にTwitterでバズった内容はこの議題に集約されるように思われる。つまり派生議題ではあるが同時に中心議題でもあった。この派生議題が重要である理由は、すでに前提5.のような事実があり、実際の積極的なタイアップ企画で修正前の「駅乃みちか」のようなデザインが採用される可能性は十分にあったからだ。この議題は仮定の話ではあるが、今回に限って言えば実際に公共交通機関が主体とはなっていないものの、これからそうした事態が起こらないとは思えない。また、Twitter上の少なくない人はこの議題を問題にしているように思われた*1
ちなみに、以下のようなことに言及している人もいたが、結局のところ上の中心議題を論じていく途中で現れてくる論点であると考えられる。
・たとえ企業の広告・キャラクターであったとしても、公共交通機関の駅構内などに「萌え絵」を掲載すべきでないのでは?
・今回の批判はオタク差別ではないのか?
・現在すでコラボしている他の「萌え絵」キャラはどう扱われるべきなのか?
・実写の女性はどうなのか?
また、根本議題を問題にしている人にとっては、中心議題を問題にする人たちは、火のないところに煙を起こしている(?)ような印象を受けたかもしれない。しかし、次のような懸念を考えれば、中心議題を考えることにはそれなりの理由があるといってよいだろう。
- 「駅乃みちか」は既に東京メトロの公式キャラクターであり、その「萌え絵」化を(たとえメトロ側が使用しないにしても)認めるというのはいかがなものか。
- 実際に広く使用されないにしても、前提4.のような使用はあるであろうため、公共機関としてのイラストとの接点は存在するのではないか(つまり適切なゾーニング [棲み分け] が出来ていないのではないか)。
派生議題=中心議題と議論の前提
上で提示された派生議題=中心議題は、ひとことで言ってしまえば、公共機関が「萌え絵」を使うのってどうなの、ということになろうが、「萌え絵」が単に「萌え絵」というだけで問題になるのであれば、「オタク差別」ということにもなってしまいかねない。「萌え絵」がなぜ問題なのかといえば、「萌え絵」が「何かしらの不快感」を招きやすい(あるいはそうみなされやすい)からだ、もしくは萌え絵のもつ「文脈」は公共の場にはふさわしくないからだ、ということになるだろう。(「何かしらの不快感」の代表例はとうぜん「性的な不快感(性嫌悪)」となるだろう)
そういえば、ことの発端は「駅乃みちか」のイラストはエロいのでは?という指摘であった。これに関しては以下のような考察もあった。
(転職を試みるかえる @orz404による。引用元:https://twitter.com/orz404/status/787882634026160128)
だが、「駅乃みちか」のイラストがエロいかどうかは判断が分かれるところである。こんなツイートもあった
台湾・高雄MRTのキャラクター高捷少女と比較してみると、駅乃みちかのデザインがかなり大人しく見える不思議。 pic.twitter.com/sfx0uyLJS8
— 一周 (@atw01) October 17, 2016
そうか? みちかさんはアヘ顔にしか見えないけど、台湾の方は普通の女の子の絵じゃね? https://t.co/Le9yWcV4qq
— 赤木智弘 (@T_akagi) 2016年10月19日
参考4:https://ja-jp.facebook.com/K.R.T.GIRLS/
また、「萌え絵」化する以前の原キャラクターにエロさを感じるというツイートもあった。
メトロのキャラクターの駅乃みちかさんからものすごいエロスを感じるのは私だけなんだろうか?性的すぎて直視できない
— イオン (@ios_amam) 2015年1月7日
結局のところ、次のことを議論の前提として受け入れるべきではないだろうか。
問題は、こうした議論の前提を認めたうえで、どのようなルール作りをしていくのか、ということであろう。
Twitterでの意見
あとはTwitterでみられた意見をほんの少し見ていくことにする。
皆が自由に表現できる社会を貫くならば、自分にとって不快な表現はあちこちで産まれる。でもそれらに対して不快だと表明するのも自由。なので、我々はある程度不愉快な表現が存在することについては受け止めねならない。受け止めるのが嫌なら諦めてもいい。それもイヤならせめてスルーしたらどないや。
— Yuzuru Nakagawa (@mishiki) 2016年10月18日
自由と民主主義を貫きたいなら、不愉快な表現が存在しまたそれに出会うことで自身の視界を少しずつ広げなければならない社会の有り様を受け入れろ、ってなことをレッシグは言ってませんでしたっけ。
— Yuzuru Nakagawa (@mishiki) 2016年10月18日
しかし自由というのはどこまで容認されるのか。駅前にフルヌードを置いてもいいということになるのか。もちろん「ある程度」不愉快な表現については受け止めよ、ということなので、こうした反論の仕方は妥当ではないかもしれないが、結局のところ、どこで線引きをするのか、という問題になってくる。
萌え絵からは、やはり、性的欲望の発露を感じる。
— uesugi_fanclub (@uesugi_fanclub) 2016年10月19日
それも、現実の3次元の女性への性的関心と異なる、少し歪んだ欲望。
内向的で、未成熟な人間の、現実逃避的な、性的欲望に思える。
(※個人の感想です)
だから、やはり萌え絵も「ゾーンニング」の問題。
— uesugi_fanclub (@uesugi_fanclub) 2016年10月19日
ろくでなし子氏の作品だって、見たい人だけが見るのだから、私は何ら問題ないと思う。
同様に、ロリコンもショタコンも、コミケみたいな閉じられた空間内で楽しむのなら、問題ない。
「萌え絵」が、とりわけ規制されるべき表現なのだろうか。「歪んだ」性的欲望の発露を感じる実写はないのだろうか(あるいは実写に「歪んだ」性的欲望の発露を感じるようなひとがいたとして、同様の主張をしたとき、どうなるのか)。
もちろんゾーニング [棲み分け] は有効な妥協案のひとつではあろう。
へぇ萌えキャラの公共化は国際基準でアウトなんだー知らなかったー(棒) pic.twitter.com/yu0xCJdJy6
— カンテラ@无空调主义 (@loopline103) 2016年10月18日
こちら(日本)がダメというならあちら(台湾)はどうなのか、という議論には「あちらはよいがこちらはダメだ」「どちらも本当はダメだ」「どちらもよい」の3パターンの応答がふつう考えられるが、もし「あちらはよいがこちらはダメだ」とするのであれば、それなりの論拠(どういった点で違うのか、なぜ違う扱いをすべきなのか)を示さなければならないだろう。この場合は国の違いだが、「萌え絵」と「実写」にしても同じことだ。
だから、奴らの不快だ案件はクレームに屈するという形で幕引きするのは本来は1件たりとも許しちゃダメだ。前例ができれば、それを元にどんどん不快だ案件を連発するぞ……と言い続けてきた訳だけど、最近不快だ案件が多いでしょ?そういう事です。
— さかも (@nebusokuqchan) 2016年10月18日
そうすると、「一般人」はつねに表現者の一方的な突きつけに従うことになってしまいかねないのではないか。それで本当にいいのだろうか。